「品性」が備わればデザインは新しいステージを迎える 【JDP評議員・内藤 廣】
新しく公益財団法人としてスタートを切った、日本デザイン振興会。新しい発足にあたり、当会の評議員・理事を務める方々に、就任にあたってメッセージを頂きました。これからのデザインができること、そして、デザイン振興会に対する期待や想いなどを自由に語って頂きました。順にご紹介していきますので、ぜひご覧ください。
日本デザイン振興会 評議員・理事インタビュー[2]
評議員・内藤 廣
■日本の「戦後」が問われる時
私がグッドデザイン賞の審査委員長に就任していた2007年から2009年の頃、デザイン関連で気になっていたことの一つはアジア各国の追い上げ、特に韓国メーカーの勢いでした。グローバルな視点で見た場合、日本の産業には底力がありますが、機動性に欠けるなど、日本のデザインを生み出すシステム自体に劣化が始まっていることに気づいていました。当時はそれを何とかしたいと考えていたのですが、今回の東日本大震災によって、情勢は大きく変わってしまいました。今は、あらゆることが根底から問われている状況下にあるということを認識するところから始めなければならないでしょう。
過去にも、バブルが弾けた時に日本人は誰もがそれまでの社会を省みたはず。しかし、徐々にそれを忘れてしまっています。1995年にオウム真理教事件が起きた時、ある意味で日本の家族制度が壊れかけていることにみんなが気づいた。しかし、そのときも誰も何もしなかった。2001年9月11日にはアメリカで同時多発テロ事件がおき、世界の構図があらわになり、みんながはっとさせられた。
また2008年のリーマン・ショックでは、金融システムも危ういものだと気づいた。その都度、おかしいなと誰もが思ったはずなのですが、日本人はみんなすぐに忘れてしまった。つまり、問題を先送りし、ずっと放置してきたと言えるのではないでしょうか。
今回の大震災はこれまでとは異なり、決して忘れたりすることはできないものだと私は思っています。言ってみれば、日本の「戦後」が問われているのではないでしょうか。この国は戦争によって一度焼け野原になり、私の前の世代、つまり父や母の世代が額に汗し、一生懸命に働いて復興を遂げたわけです。それ自体は否定することでは全くありませんが、次の時代に行くためにはどうしたらいいのか、新たなビジョンを描くことができないまま、闇雲に経済の発展だけを求めてきたのではないでしょうか。そうした「戦後」のあり方が、根底から問われているのだと思います。
私の知る範囲でいうと、建築や都市などの法制度や、JIS(日本工業規格)やJAS(日本農林規格)などの産業振興の法制度は、みな1950年から60年代に整備されたもののはずです。ある意味、これらは日本が高度経済成長をするための社会的な仕組みづくりであったと言えるものです。しかし、こうした法制度の多くが、もはや耐用年数が過ぎ、現代では有効性に欠けてしまっていることが、今回の震災によって炙り出されたとも言えます。
この震災で日本は変わるはずです。もし変わらなければ、この国は長い衰退期に入ると私は思います。16年前の阪神淡路大震災もとても大変な災害ではありましたが、今回の東日本大震災は意味合いと規模があまりにも違います。阪神淡路大震災は、制度の根幹にまで関わるものではなく、ある意味、局所的であったという見方も出来ます。日本人はあの時にもっといろいろなことに気がつくべきだったと思いますし、もし気づいていたら、今回はもっと違った対応になっていたはずです。
しかし、当時はまだ国力もあり何とかなってしまったために、今回さまざまな不具合が起きているのです。例えば、非常事態の対応や対処の仕方など、あまりに手薄であったことが判明してしまいました。私はそれを「60年の平和呆け」と言っています。正確に言えば終戦の1945年から数えると66年間、この国は戦争もなく平和に過ごせたため、危機管理が脆弱となり、法制度や政治の制度などあらゆる仕組み、システム自体がとても華奢で弱体化してしまっているのです。
私がグッドデザイン賞の審査委員長に就任していた2007年から2009年の頃、デザイン関連で気になっていたことの一つはアジア各国の追い上げ、特に韓国メーカーの勢いでした。グローバルな視点で見た場合、日本の産業には底力がありますが、機動性に欠けるなど、日本のデザインを生み出すシステム自体に劣化が始まっていることに気づいていました。当時はそれを何とかしたいと考えていたのですが、今回の東日本大震災によって、情勢は大きく変わってしまいました。今は、あらゆることが根底から問われている状況下にあるということを認識するところから始めなければならないでしょう。
過去にも、バブルが弾けた時に日本人は誰もがそれまでの社会を省みたはず。しかし、徐々にそれを忘れてしまっています。1995年にオウム真理教事件が起きた時、ある意味で日本の家族制度が壊れかけていることにみんなが気づいた。しかし、そのときも誰も何もしなかった。2001年9月11日にはアメリカで同時多発テロ事件がおき、世界の構図があらわになり、みんながはっとさせられた。
また2008年のリーマン・ショックでは、金融システムも危ういものだと気づいた。その都度、おかしいなと誰もが思ったはずなのですが、日本人はみんなすぐに忘れてしまった。つまり、問題を先送りし、ずっと放置してきたと言えるのではないでしょうか。
今回の大震災はこれまでとは異なり、決して忘れたりすることはできないものだと私は思っています。言ってみれば、日本の「戦後」が問われているのではないでしょうか。この国は戦争によって一度焼け野原になり、私の前の世代、つまり父や母の世代が額に汗し、一生懸命に働いて復興を遂げたわけです。それ自体は否定することでは全くありませんが、次の時代に行くためにはどうしたらいいのか、新たなビジョンを描くことができないまま、闇雲に経済の発展だけを求めてきたのではないでしょうか。そうした「戦後」のあり方が、根底から問われているのだと思います。
私の知る範囲でいうと、建築や都市などの法制度や、JIS(日本工業規格)やJAS(日本農林規格)などの産業振興の法制度は、みな1950年から60年代に整備されたもののはずです。ある意味、これらは日本が高度経済成長をするための社会的な仕組みづくりであったと言えるものです。しかし、こうした法制度の多くが、もはや耐用年数が過ぎ、現代では有効性に欠けてしまっていることが、今回の震災によって炙り出されたとも言えます。
この震災で日本は変わるはずです。もし変わらなければ、この国は長い衰退期に入ると私は思います。16年前の阪神淡路大震災もとても大変な災害ではありましたが、今回の東日本大震災は意味合いと規模があまりにも違います。阪神淡路大震災は、制度の根幹にまで関わるものではなく、ある意味、局所的であったという見方も出来ます。日本人はあの時にもっといろいろなことに気がつくべきだったと思いますし、もし気づいていたら、今回はもっと違った対応になっていたはずです。
しかし、当時はまだ国力もあり何とかなってしまったために、今回さまざまな不具合が起きているのです。例えば、非常事態の対応や対処の仕方など、あまりに手薄であったことが判明してしまいました。私はそれを「60年の平和呆け」と言っています。正確に言えば終戦の1945年から数えると66年間、この国は戦争もなく平和に過ごせたため、危機管理が脆弱となり、法制度や政治の制度などあらゆる仕組み、システム自体がとても華奢で弱体化してしまっているのです。
■品性のあるデザインが日常を支える
デザインは、日常に供するものであるため、それだけに非常時の気構えが必要です。日常に非日常をどのように引き込むことができるかどうか、つまり非日常を引っ張り込む意識の持ちようが、建築も含めたデザインに「品性」を与えると常々考えています。どことなく楽しく軽くて享楽的なものではなく、どこかに格調の高さが感じられる、つまり「品性」が日本のデザインに備わってくれば、この国のデザインは新しいステージを迎えると思っています。
思い返してみれば、室町時代のデザインにはその「品性」がありました。室町時代のデザインは、生死の境からうまれたデザインエッセンスの集合体です。江戸期のものも素晴らしいが、日本のデザインのオリジンを辿ればやはり室町時代になります。つまり、我々のDNAの中にその「品性」はあるのです。それを各人が思い出し、それを表に出すことで、次の時代におけるデザインがうまれてくるのではないでしょうか。
私は現段階で海外ヘ向けたメッセージを発信するとしたら、「日本のデザインは、震災では何もできなかった」と正直に言うことが世界への貢献になると考えています。私たちの意識の浅さを、正直に、そして正面から反省することから出発すべきなのです。
これまでの日本のデザインは、享楽的とまでは言いませんが、平和な消費社会を前提としたものしか生み出してこなかったのではないでしょうか。デザインが人々の生活の奥にまで入り込んで、米を食べるのと同じぐらい重要な事柄であったならば、今回の震災でも「デザインができること」はすぐに分かったはず。しかし、そうではなかった。日本のデザインには何もできなかったと自覚したうえで、いったん間を置いて、じっくり考えるべきでしょう。
もちろん、デザインを物事を調整したり編集したりするという広い意味でとらえ、建築を物事を構築するという広い意味でとらえれば、震災からの復興において果たせる役割がたくさんあります。
デザイン、建築どちらも人々の近くにいて、日常を支え、いろんなものを繋ぎ合わせる不思議な力を持っています。それは、震災後の次のステージで求められるものです。今は、いわゆるサプライサイドをどうコントロールするかが課題になっていますが、次第にディマンドサイド、つまり被災された方々の暮らしの話に戻っていくはずです。
そこでは、例えばコミュニティどう再生させていくのか、街をどう再生させるのか、あるいは、亡くなられた多くの方々やご遺族たちとどう向き合うのかということが話されるはずです。これらはお金や法制度の問題ではなく、まさに文化の問題です。文化の問題である以上、そこには当然、デザインや建築が深く関わっていくことができるはずだと思っています。
デザインは、日常に供するものであるため、それだけに非常時の気構えが必要です。日常に非日常をどのように引き込むことができるかどうか、つまり非日常を引っ張り込む意識の持ちようが、建築も含めたデザインに「品性」を与えると常々考えています。どことなく楽しく軽くて享楽的なものではなく、どこかに格調の高さが感じられる、つまり「品性」が日本のデザインに備わってくれば、この国のデザインは新しいステージを迎えると思っています。
思い返してみれば、室町時代のデザインにはその「品性」がありました。室町時代のデザインは、生死の境からうまれたデザインエッセンスの集合体です。江戸期のものも素晴らしいが、日本のデザインのオリジンを辿ればやはり室町時代になります。つまり、我々のDNAの中にその「品性」はあるのです。それを各人が思い出し、それを表に出すことで、次の時代におけるデザインがうまれてくるのではないでしょうか。
私は現段階で海外ヘ向けたメッセージを発信するとしたら、「日本のデザインは、震災では何もできなかった」と正直に言うことが世界への貢献になると考えています。私たちの意識の浅さを、正直に、そして正面から反省することから出発すべきなのです。
これまでの日本のデザインは、享楽的とまでは言いませんが、平和な消費社会を前提としたものしか生み出してこなかったのではないでしょうか。デザインが人々の生活の奥にまで入り込んで、米を食べるのと同じぐらい重要な事柄であったならば、今回の震災でも「デザインができること」はすぐに分かったはず。しかし、そうではなかった。日本のデザインには何もできなかったと自覚したうえで、いったん間を置いて、じっくり考えるべきでしょう。
もちろん、デザインを物事を調整したり編集したりするという広い意味でとらえ、建築を物事を構築するという広い意味でとらえれば、震災からの復興において果たせる役割がたくさんあります。
デザイン、建築どちらも人々の近くにいて、日常を支え、いろんなものを繋ぎ合わせる不思議な力を持っています。それは、震災後の次のステージで求められるものです。今は、いわゆるサプライサイドをどうコントロールするかが課題になっていますが、次第にディマンドサイド、つまり被災された方々の暮らしの話に戻っていくはずです。
そこでは、例えばコミュニティどう再生させていくのか、街をどう再生させるのか、あるいは、亡くなられた多くの方々やご遺族たちとどう向き合うのかということが話されるはずです。これらはお金や法制度の問題ではなく、まさに文化の問題です。文化の問題である以上、そこには当然、デザインや建築が深く関わっていくことができるはずだと思っています。
1950年神奈川県横浜生まれ。1974年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1974-76年同大学院にて吉阪隆正に師事、修士課程修了。1976-78年フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務。1979-81年菊竹清訓建築設計事務所勤務。1981年内藤廣建築設計事務所設立。2001-02年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授。2003年より東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授。2010-2011年3月まで東京大学副学長を務める。






