<REPORT> 東京デザイン2020オープンセッション@東京藝術大学
2020年東京オリンピック/パラリンピック開催に向けて、デザイン分野からの施策や提言を推進する「東京大会デザイン2020フォーラム」の主催により、さる1月10日に東京藝術大学で公開トーク「東京デザイン2020オープンセッション vol.2」が開催されました。昨年の10月31日におこなわれたオープンセッション vol.1に続き、公益財団法人日本デザイン振興会でインターンシップを務める斎藤悠也によるレポートをお届けします。
今回の「東京デザイン2020オープンセッション vol.2」 は、上野にキャンパスを置く東京藝術大学で教鞭をとっている、あるいは同大学の出身者であるデザイナーやアーティスト、建築家をスピーカーとして招き、彼らの自由な提言に触れる場となった。話されたテーマは、専門とするデザインの内容から、2020年の上野をどういう街にしていくかということ、オリンピックに向けた体制作りにまで及んだ。それらの提言の趣旨をふまえながら、このレポートでは2020年の上野について、そして体制作りについて触れていこうと思う。
混沌さと、芸術文化を届ける「上野」
「上野“文化の杜”新構想推進会議」が発足され、東京藝術大学の宮田亮平学長が発起人代表となっている。この会議は、オリンピック開催に合わせて上野を芸術文化都市にすることを目指す。宮田氏に続いて、北郷悟氏(彫刻家/東京藝術大学理事・美術学部彫刻科教授)も文化の杜を中心に据えた構想について触れていた。両氏からは、すでに日本でも指折りの文化施設を有する上野を、世界最高水準の文化拠点として再形成し、国際遊学都市にしたいと語られた。現在の上野地区の年間来訪者数1100万人を、2020年には3000万人まで増やそうという目論みだ。具体的な施策としては、上野の杜にある施設を一枚のパスでまわれるようにしたり、上野駅へのアクセスポイントを見直すことで、人の動線をよりスムーズにするようだ。
昨年開催されたオープンセッション vol.1のレポートで、「2020年の東京を『消費ではなく活用する』都市としたい。そして、新たな都市像を完成させるのには、個人が開催地としての自覚を持った振る舞いを日頃から心がける必要がある」と述べた。都市の全体像、イメージを担うのは一人ひとりの市民たちであるが、彼らの集合体と言える街にも、その役目は等しくあるように思われる。そして、そんな街にはそれぞれカラーがある。街それぞれに脈々と受け継がれている歴史文化という過去からの来歴が街全体を覆い、それに感化される人々が引き寄せられ、次第にカラーとして浮かび上がってくるのではないだろうか。
それでは、上野という街はどうだろうか。上野には、東京藝術大学をはじめ、美術館や博物館などの文化教育施設がある。動物園や不忍池といった行楽地もある。活気のあるアメ横の存在も忘れてはならない。上野に出向けば他の街では感じ得ない多様性を、身を持って体感することができる。そこに一つの色を見出すことは困難であり、上野の場合むしろ混沌という表現の方が相応しいように思われる。「混沌」という言葉には、一見マイナスな印象を抱くかもしれないが、時として計画された空間では生まれ得ない、人々が出入りする受容体として独特の居心地の良さを、混沌とした空間には感じられることがある。上野も同様だ。上野に流れ込んでくる人と、そこに立ち現れる人、彼らが自由に刺激しあうことで、上野を活発な集合体としている。私は、この動的な状態は、失ってはならない「上野らしさ」だと考える。上野の杜を中心とした再構想案は、来訪者の流れをスムーズにすることに重きが置かれているように感じられる。それは、21世紀の文化立国日本を世界に発信するに相応しい地とするため、必要不可欠な施策だと思われる。しかし、同時に上野らしさである混沌さを残して欲しい。混沌さが上野という地を表すカラーであり、来訪者たちはそこから受ける馴染みやすさや未知なる刺激に期待しているからだ。快適な移動を可能にする都市構想と、長年受け継がれてきた味のある上野の風土を両存させることで、上野はオリンピック開催都市である東京のひとつの顔として、より一層映えるのではないだろうか。
産官学民の連携
オリンピックは、人々の記憶に刻まれ、開催地ではその時代の象徴的行事として語り継がれることとなる。1964年当時は、政府がトップダウンで政策を打ち出し、国家的な枠組みのもとオリンピックを成功させた。それは、戦後の劇的な復興を世界に示すために必要な手法であったと思われ、1960年代のシンボルとなった。2020年の東京オリンピックは、成熟国家の代表として、安易な選択による煌びやかさや大仰な装置に頼るのではなく、慎み深い美を世界に届けるべきだと考える。そこで、2020年までの準備期間において、私たちは政府主導ではなく、産官学民が横並びになって意見を出し合える場を設ける必要があるのではないか。芦原太郎氏(建築家/公益社団法人日本建築家協会会長)が話していたように、デザインは行政からではなく、そこで暮らしている人たちの意見を大切にするべきであり、市民と専門家、デザイナーが一同に集まれる組織を作るべきではないだろうか。その上で芦原氏は、ロンドン五輪の際に組織されたCABE(町づくり支援機構)を参考にしてはどうだろうかと提案した。また、日比野克彦氏(アーティスト/東京藝術大学先端芸術表現科教授)は、出身地である岐阜県で行われた「ぎふ清流国体」の総合プロデュースをはじめ、現地で暮らす人たちが“作る”体験を共有できるプログラムを日頃から企画している。日比野氏はこれをコミュニティデザインと呼んでいるが、来たるオリンピックでも、1964年当時にはなかった皆で作り共有するというボトムアップ方式を重視してほしいと語っていた。皆で考えて作るオリンピックであれば、一方向による与えられた空間ではなく、双方向に支えられた空間が実現できると思われる。それは、バランスの良い空間となって、思いやりが感じられる日本特有のおもてなし精神を具現化したものとなるはずだ。横並びによる連携のメリットを活かしながら、そのリスクや不完全性を政府が補完していくというあり方、つまりは横並び方式とトップダウン方式を組み合わせたT字型政策立案方式の形成を目指す必要があるのではないだろうか。それによって、2020年の東京オリンピックを、産官学民によるコミュニティデザインが実現された近未来型のオリンピックとすることができるはずだ。
セッションの、そしてその先の意義
今回、そして前回のセッションを通じて、私はこのセッション自体の意義について考えたことがあった。セッションには、提言力のある人たちの自由な意見を世に出す場としての意義がある。しかし、それだけで終わってはならない。レポートや記事に意見をまとめ、一般の人たちに届けることが大切である。そして、セッションやシンポジウムごとに、人々に情報を発信することでオリンピックをより身近なものに感じてもらうようにする。最終的に、各自がオリンピックに対しそれぞれの意見を持ってもらえれば良いと思う。そして、人々が自らの考えや意見を大切にしながら、 オリンピックに向けた行動を起こす上で必要な指針となりうるプラットフォームとして、東京デザイン2020フォーラムが機能していくことを期待したい。
齋藤悠也/JDP