キーワードは「挑戦する」ー日立製作所 デザイン本部 本部長 有吉司氏インタビュー[後半]
2011年4月1日、当会賛助会員でもある日立製作所デザイン本部の本部長に有吉 司さんが就任した。日立製作所デザイン本部は2008年に国分寺と青山に分散していたデザイン部門を赤坂に集結させ、対話プロセスにもとづいたイノベーションを生み出す場として、エクスペリエンスデザインを中心に先進的で意欲的な活動を行っている。今回、そんな日立製作所デザイン本部の「動向とこれから」について、新本部長の有吉さんにお話しを伺った。
(前半記事は
こちら)
ー内部化したことによって生じた課題はありますか?
調査から新しいモノを考え、プロトタイプをつくる、その繋ぎの部分が実は一番の課題です。繋ぐ部分は非常に重要ですが、同時にとても難しいことです。新しいものを考える時に、よくよく意識しつづけないと途切れてしまったり、あるいは我田引水になり、見たい現実しか見なくなってしまうことが課題です。
現実的には、社外の専門家の方たちと一緒にやるようにしています。アメリカにしてもイギリスにしても、現地の大学関係の方々と一緒に調査をやっています。新しいジャンルなので、勉強しなければいけないんですね。それがインダストリアルデザインのように歴史のあるものとの違いです。
こういう事をやり出してから社外連携はすごく増えていますし、積極的にやるようにしています。自分たちだけで考えてやるとやはり視野が狭くなりがちです。
また、バックグラウンドの違う人と一緒にやると刺激し合えます。原研哉さんの言葉を借りると「未知化」できるというのが大切な部分で、「分かっていたことを、もう一回知らなかったこと」にしてニュートラルな意識で臨むことで視野が拡がります。また、裸になって本質的なところを見抜くというのは、意図的にやらないとできないというところもあって、そういった意味合いからもあえて違った分野の専門家を入れたりしています。
ーいつ頃からこのようなスタンスになったのですか?
元々は約20年前にデザイン系ではない人材を採用したところから始まっていると思います。当時の所長(当時はデザイン研究所)が大変ビジョナリーな方でして「これからのデザインはいろんな知見が必要だろう」ということで、まずは当社の中央研究所でインターフェイスのユーザビリティを実践的にやっていた黒須正明氏(現 学校法人放送大学教授)をデザイン研究所に招聘し、そして、そのつてでデザイン系以外の学生を10名ぐらい採用したんですね。その中には心理学や生体工学など、様々な分野の人がいました。おそらくそこが始まりです。
ープロセスの前半部分に軸足を置き始めたのもその頃でしょうか?
そうですね、最初はユーザビリティなどの評価から始めたんです。ですが、ユーザビリティ評価だけでは、面白くないんですよね。で、開発のサイクルで考えると評価の次はニーズ調査になりますからね。そこで、評価するという態度から要求事項を見つけるという方向へ徐々にシフトし始めたんです。
最初はエレベーターの保守員の調査でした。これも最初はデザインの話で、落としどころは「保守員が使う端末のユーザーインターフェース」でした。しかし、いきなりデザインしたところでは分からない。そこで、現行機の使われ方をとにかく調べろという話になり、ではこれを機にエスノグラフィなどの調査技法も、一度全部やってみようということになったんです。そこで、リサーチャーとデザイナーのペアを保守員の事務所に派遣して、3週間ぐらい一緒に生活して観察をしたというのが最初です。それ以降はいろんなジャンルでやり始めて、2004年に入った頃には本格化してきました。今となってはスタッフがまったく足らないぐらいです。
ーこれからの日立デザイン本部でやりたいこととは?
実は「イノベーションデザイン」や「ソリューションデザイン」のように、デザインという言葉に装飾をしない組織にしている理由がありまして、「日立のデザイン」と言った時に、あるひとつの世界を示すようなものにしたいというのが夢ですね。今は「エクスペリエンスデザインをやっています」と言っていますが、これも本当は言いたくない。「デザイン」といっただけで、それを示せるようにしたいなぁと思っています。
ーその「デザイン」をもう少し分解してみると?
たとえば、10年先、20年先の世界観を描くときに、ポンっと描きたくないと思っているんです。地べたを這いつくばって「今」を観察して、そして「その20年後」というステップを踏みたい。それだけは、私は外したくないなぁと思っています。
20年先のユーザーの20年前って今、目の前にいますよね。そうしたら、そこは調べることができるんじゃないか、と思うんです。例えば「10年後の高齢者のためのデザイン」というのは皆さんやっていると思いますが、そのユーザーは僕なんです。ただし10年後に僕が同じことを言っている保証はない。でも、そこは研究で埋められるだろうということを、課題にしています。
とはいえ、おそらく20年先の予想なんて外れますし、20年先のトレンドを完全に予測するのは無理だとは思います。でも、挑戦するのが面白いじゃないですか。また、挑戦すると必ず手法やツールなど、何かしらの副産物は生まれます。それが重要だと思っているんです。
例えば錬金って絶対できませんよね。半ば分かっているんだけど、挑戦する。しかし、それをやり続けることで大変役に立つ化学合成物質が出来てくるわけですね。でも、最初からそうした副産物を目指すのではなく、あくまで「金」を目指しておかないとダメだよね、と思うんです。そのためにもそういった課題を意図的にセットしています。
ー「挑戦する」ということがキーワードですね?
そうですね。自分で言うと恥ずかしいのであまり言わないんですが。もしかすると10年後にはデザイン業界の中でも特殊な組織になっているかもしれませんが、それはそれで面白いだろうなぁと思っています。
(了)
(前半記事は こちら)
ー内部化したことによって生じた課題はありますか?
調査から新しいモノを考え、プロトタイプをつくる、その繋ぎの部分が実は一番の課題です。繋ぐ部分は非常に重要ですが、同時にとても難しいことです。新しいものを考える時に、よくよく意識しつづけないと途切れてしまったり、あるいは我田引水になり、見たい現実しか見なくなってしまうことが課題です。
現実的には、社外の専門家の方たちと一緒にやるようにしています。アメリカにしてもイギリスにしても、現地の大学関係の方々と一緒に調査をやっています。新しいジャンルなので、勉強しなければいけないんですね。それがインダストリアルデザインのように歴史のあるものとの違いです。
こういう事をやり出してから社外連携はすごく増えていますし、積極的にやるようにしています。自分たちだけで考えてやるとやはり視野が狭くなりがちです。
また、バックグラウンドの違う人と一緒にやると刺激し合えます。原研哉さんの言葉を借りると「未知化」できるというのが大切な部分で、「分かっていたことを、もう一回知らなかったこと」にしてニュートラルな意識で臨むことで視野が拡がります。また、裸になって本質的なところを見抜くというのは、意図的にやらないとできないというところもあって、そういった意味合いからもあえて違った分野の専門家を入れたりしています。
ーいつ頃からこのようなスタンスになったのですか?
元々は約20年前にデザイン系ではない人材を採用したところから始まっていると思います。当時の所長(当時はデザイン研究所)が大変ビジョナリーな方でして「これからのデザインはいろんな知見が必要だろう」ということで、まずは当社の中央研究所でインターフェイスのユーザビリティを実践的にやっていた黒須正明氏(現 学校法人放送大学教授)をデザイン研究所に招聘し、そして、そのつてでデザイン系以外の学生を10名ぐらい採用したんですね。その中には心理学や生体工学など、様々な分野の人がいました。おそらくそこが始まりです。
ープロセスの前半部分に軸足を置き始めたのもその頃でしょうか?
そうですね、最初はユーザビリティなどの評価から始めたんです。ですが、ユーザビリティ評価だけでは、面白くないんですよね。で、開発のサイクルで考えると評価の次はニーズ調査になりますからね。そこで、評価するという態度から要求事項を見つけるという方向へ徐々にシフトし始めたんです。
最初はエレベーターの保守員の調査でした。これも最初はデザインの話で、落としどころは「保守員が使う端末のユーザーインターフェース」でした。しかし、いきなりデザインしたところでは分からない。そこで、現行機の使われ方をとにかく調べろという話になり、ではこれを機にエスノグラフィなどの調査技法も、一度全部やってみようということになったんです。そこで、リサーチャーとデザイナーのペアを保守員の事務所に派遣して、3週間ぐらい一緒に生活して観察をしたというのが最初です。それ以降はいろんなジャンルでやり始めて、2004年に入った頃には本格化してきました。今となってはスタッフがまったく足らないぐらいです。
ーこれからの日立デザイン本部でやりたいこととは?
実は「イノベーションデザイン」や「ソリューションデザイン」のように、デザインという言葉に装飾をしない組織にしている理由がありまして、「日立のデザイン」と言った時に、あるひとつの世界を示すようなものにしたいというのが夢ですね。今は「エクスペリエンスデザインをやっています」と言っていますが、これも本当は言いたくない。「デザイン」といっただけで、それを示せるようにしたいなぁと思っています。
ーその「デザイン」をもう少し分解してみると?
たとえば、10年先、20年先の世界観を描くときに、ポンっと描きたくないと思っているんです。地べたを這いつくばって「今」を観察して、そして「その20年後」というステップを踏みたい。それだけは、私は外したくないなぁと思っています。
20年先のユーザーの20年前って今、目の前にいますよね。そうしたら、そこは調べることができるんじゃないか、と思うんです。例えば「10年後の高齢者のためのデザイン」というのは皆さんやっていると思いますが、そのユーザーは僕なんです。ただし10年後に僕が同じことを言っている保証はない。でも、そこは研究で埋められるだろうということを、課題にしています。
とはいえ、おそらく20年先の予想なんて外れますし、20年先のトレンドを完全に予測するのは無理だとは思います。でも、挑戦するのが面白いじゃないですか。また、挑戦すると必ず手法やツールなど、何かしらの副産物は生まれます。それが重要だと思っているんです。
例えば錬金って絶対できませんよね。半ば分かっているんだけど、挑戦する。しかし、それをやり続けることで大変役に立つ化学合成物質が出来てくるわけですね。でも、最初からそうした副産物を目指すのではなく、あくまで「金」を目指しておかないとダメだよね、と思うんです。そのためにもそういった課題を意図的にセットしています。
ー「挑戦する」ということがキーワードですね?
そうですね。自分で言うと恥ずかしいのであまり言わないんですが。もしかすると10年後にはデザイン業界の中でも特殊な組織になっているかもしれませんが、それはそれで面白いだろうなぁと思っています。
(了)
(前半記事は こちら)
Profile
有吉 司(ありよし つかさ)
株式会社日立製作所デザイン本部 本部長
1959年生まれ。 1983年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業、(株)日立製作所に入社、デザイン研究所(現デザイン本部)にて、家電・映像・情報・産業・公共・医療・鉄道などの分野の機器やシステムのデザインとマネージメントに従事。1996年~2001年の間、日立デザインセンターヨーロッパ(ミラノオフィス)に出向、また2007年より3年間は交通システム事業部に在籍し、海外向け鉄道車両の開発および入札業務に従事。2011年4月より現職。
記事/蘆澤雄亮(JDP)