公益財団法人日本デザイン振興会 公益財団法人日本デザイン振興会

審査委員トークセッション
「グッドデザインはグッドデザインか?」開催レポート

5月17日(火)WIRED Lab.にて、グッドデザイン賞審査委員によるトークセッション「グッドデザインはグッドデザインか?」を開催いたしました。以下、内容をレポートいたします。

[トークセッション] グッドデザインはグッドデザインか? 
GOOD DESIGNが社会にもたらす意味を考える 〜過去・今・未来〜

日 時: 2016年5月17日(火)18:30-20:00
場 所: WIRED Lab.
登壇者: 齋藤 精一(rhizomatiks クリエイティブ/テクニカルディレクター)、林 信行(ジャーナリスト/コンサルタント)、倉本 仁(プロダクトデザイナー)、並河 進(電通ソーシャルデザインエンジン代表・クリエイティブディレクター)、若林 恵(「WIRED」誌編集長)

まずは「デザインを取り巻く状況から最近思うコト」

最初に「最近仕事をする中で、世の中的にこんなことが変わってきたな」と思う事や「それに対してどういう課題意識があるか」みたいなことをお話していただければと思います。


齋藤:

僕は基本的に「問題解決」がデザインだと思っています。「最近のデザインって何だろう」みたいな話になると、それだけではなくて、まちづくりや都市づくり、人間関係づくり、それからコミュニケーションもデザインになってきていると思います。ライゾマティクスは主にデジタル領域で、例えば舞台やライブ等の演出やCMを作ったり、いろんなことやっています。そんな形でずっと受注の仕事が多かったんですが、そのモデルが変わってきたなと感じています。仕事の質や、仕事の内容自体も大きく変わってきたのではないかな。ライゾマ的にいうと、最近社内に建築部門を作って、例えばまちづくりの一環で熱海の再開発をお手伝いしたり、公園の再開発をお手伝いしたり、「まちづくりに対してデジタルで何ができるのか」ということもやるようになりました。そんなところからも、今、仕事のやり方が次のフェーズに移っている感が非常にあります。

先日、ロンドンのD&ADの審査に行ってきたのですが、前回行った4年前から比べてもエントリーされているものが随分変わっていました。そういうことを踏まえて考えると、デザインだと思って作っていない方の作品が、実はグッドデザインだったりすることが目につくようになってきた。そこを少し掘り返すというか、新しい位置付けとして、もう一回グッドデザイン賞を再構成・再認識してみたいと思ったのが、僕が今回こういう会をやったほうがいいんじゃないかと思ったきっかけでもあります。


林:

僕はテクノロジー系の記事を書いたり講演をしたり、コンサルティングをしていますが、2007年ぐらいから本当に世の中が変わってきたなと感じています。きっかけはiPhoneに代表されるスマートフォンの登場です。さらに、ソーシャルメディアも広がってきた。さらに3Dプリンターの登場によって全く違ったものづくりが出来るようになった。これら3つの登場で衣食住の全てが変わってきたと思っています。

それと同時にものづくりのあり方にも変化が出てきた。最近話題の製品でいうと、ダイソンが新しいドライヤーでしょうか。それまでの多くのメーカーは従来製品を少しずつ改良する形で製品を開発していたものが、これまでまったくドライヤーをつくっていないダイソンが参入すると、それまでのドライヤー開発の常識にいっさい縛られず、根本から新しいものづくりができてしまう。iPodやiPhone誕生の時もそうでしたが、最近、そういう事例が増えていると思います。

大手企業が社内ベンチャーを作る事例も増えています。例えばソニーの本社に行くと、ファブラボみたいなスペースがあって、その中に少人数の社員からなるベンチャー・チームがいくつか入って新しいものづくりやっています。そしてそこからは、これまでとは全く違う、ちょっと粗削りなんだけれども面白い製品が出てきている。かと思えば、ベンチャーが大企業にしかできなかった製品を出すという全く逆のケースもあります。NuAns Neoという製品は、埼玉県のたった10人ぐらいの会社がゼロから自分たちでデザインしたスマートフォンなんです。既に外国で出ていた製品を外側だけを変えて日本で発売するというのはこれまでにもありました。でも、NuAns Neoは本当に全くゼロから新しい。ベンチャーのような小規模な会社が大きいことやる一方で、大きい会社がベンチャーっぽいことやるとか、「枠の再定義」がどんどん始まっています。何が正解は見えないんだけれども、何かすごいぐちゃぐちゃなことが起きていて、そういう意味でももう一度グッドデザイン賞って何なのかっていうことを問うのにはすごいいいタイミングなんじゃないかと思っています。


倉本:

今、デザインがどうだとか、企業価値が移り変わってきているっていう話がありましたが、僕もそういえば以前はどうだったんだろうっていうのを考えてみたんですね。僕はプロダクトデザインの専門なので、どちらかというと形を作るというデザイン教育を受けてきました。家具や日用品を作ったり、それからときどき車を作ったりしていますが、形を美しく作るっていうことがグッドデザインとされていた時代が以前はあったんですね。それが今は全然違ったものになってきてると思います。

例えば車の話をすると、昔は、低くて流線型でフェラーリのようなスポーツカーがかっこいいとされていた。ああいうのがかっこいいよねと言ってた時代からすると、逆に今、そのスタイルになってることがちょっとダサいみたいな空気感がある。僕らのように、形を生み出してそれを世の中に送り出していく者からすると、形自体の評価はもちろんあるんですけど、何よりもその形が何を表現しようとしてるのかという部分、その形の一つをとっても面白いことがちゃんと捉えられてるかどうかっていうことを常に問われているような気がします。

実際に以前は、クライアントさんから「もっと薄くしたほうがいいんじゃない」みたいな「形」の話が多かった。でも最近は、最初の打ち合わせのときに「これを使って何か面白いことしたいんです」という、かなり漠然とした依頼が増えてきました。形で勝負してる訳じゃなくて、面白いことを「形」で表現するんだ、いうのをデザイン業界だけじゃなくて、ビジネス業界を取り巻くみんなが一番に考えるようになったんじゃないかなと最近よく思います。


並河:

僕は「形」を作るという意味でのデザイナーではなくて、ソーシャルデザインという領域が専門です。十数年前に「社会のために企業が何をやれるのか?」と思って、当時ソーシャルデザインのなんたるかをほとんど知らずに試行錯誤しながら始めました。それが徐々に広く一般に「ソーシャルデザインって必要なんだ」となってきた感じです。

では、ソーシャルデザインって何だろう?というと、僕がやっている仕事にも本当にいろんなパターンがあります。例えば新しい公園ができる。じゃ、公園はどういう形であるべきか?というのを、地元の人たちとワークショップを通じて一緒に考えながら決めていくときのファシリテーターをやるときもあれば、社会的な課題をテーマにした企業の事業開発のオープンラボのプロデューサーをすることもあります。いろんな形があって、自分でも何をやってるのかっていうのをいろいろ悩みながらやっています。その中で、デザインについて考えるとき、「何を」「何のために」「誰と」「どうやって」のそれぞれの部分を少し広げて考える、そういう視点の置き方が自分のできることなのかなと思いながらやってます。

たとえば、商品開発を頼まれたときも、話を聞いていくと、「社員みんなのモチベーションも一緒に上げていきたい」とかいろんなことが複層的に絡まってて、「いや、それ商品開発じゃなくてインナーモチベーションのほうを重要としてるじゃん」みたいなことはあります。だから、そういうときに、いろんなことを満遍なく知らないと対応できないなっていうのはすごく感じていて、勉強しています。

ただ、そのとき、専門的なスキルとして、具体的に何が必要なのかというのもまだ自分でもいろいろ試行錯誤しながらやっている最中なので、そういう意味では、今回グッドデザイン賞の審査委員をやるということが僕自身にとっても学びになるといいなと思って参加しています。


グッドデザイン賞の審査委員をやる前と後で変わったコト

去年、初めて審査委員やってみて、やる前とやってみた後で、どんな印象の違いがありましたか?


林:

僕は『AXIS』も昔から読んでいて、ずっと工業デザインに興味がありました。グッドデザイン賞の取材もしていたので、受賞展を見に行くと、やっぱり楽しいなって見てるだけだったんです。だから、プロダクトデザインとか工業デザインの世界で良いと言われてたものを軸に審査しようという思いで参加しました。でも、およそそんなことはできる状態じゃなかった。僕は黒物家電の審査ユニットだったんですが、非常に応募数が多く、そのユニットだけで400件近くありました。1点15分ぐらいかけて審査していったら、途中でこれはずっと徹夜しても間に合わないと思って、本当死ぬ思いをしました。二次審査のときも、やっぱり審査する点数が多くて本当に大変でした。その中で、会社の中にいるデザイナーの方は、昔からある工業デザイン・形のデザインのつもりでやってるだろうから、そこを評価しなければいけないと思いつつ、ユーザーの視点で評価しようとすると、もう本当にずっと悩みっぱなし。もう完璧な審査はちょっと無理なんじゃないかと思いながら、でも、精一杯を尽くして審査を行いました。

僕は昔からGマークがついてるかどうか注意してモノ選びをしてたんですけども、審査委員をやってみて、こんな大変な思いをしてGマークが付いてるんだと思ったら、その後さらにGマークのものを買うようになりました。最近、審査員の仕事が多くて、どの審査の仕事も真剣に取組んでいるつもりですが、そうした経験を通してつくづく絶対100パーセントこれは正しいという審査はできない、と実感し反省していますが、その中でどうやったら審査をする側もされる側も満足できる結果にできるか、これはもうひたすら話し合うしかない、と思い始めています。


倉本:

僕はこんなに大変なのかっていうのが一番の印象でした。「良いデザインって何だろう」っていうことを審査委員同士で深く議論することがすごく多い。応募作品を見て初めて気付くことがあって、「あれ?これ、何かいい気がするけれども、何でだろう」っていうところをひもといていくんです。こういう時代の流れの中から、今、僕らのアンテナが引っ掛かってるんじゃないか、だったらそこを大きく膨らまして、みんなで議論しようっていうようなことがあるんですね。

僕が担当していた審査ユニットは「ザッツプロダクトデザイン」で、家電品、日用家電が多い昔からのデザインという文脈を色濃く残しているジャンルだったので、まだそこまで「デザインとは何か?」の根本に立ち返る議論は少なかったと思います。これがコンテンツ系とかソーシャル系のユニットになってくると、新しいことがどんどん送り込まれてくる、そういうところはやっぱりGマークの評価軸自体が時代に合わせて変化していかないと駄目だと思います。そのずれをどれくらいずらすかっていうのを審査委員同士で綿密に議論して、「今のグッドデザイン賞はこれである」ということを決めてるんだと思います。そういうことからすると、プロダクトの審査ユニットはまだましというか、楽ではないんですけれども、時代のうねりのスピードが、ソーシャルとかコンテンツに比べるとゆっくりなので、古き良きデザインの思想に立ち返って評価できるところもあって、まだ助けられてる部分はあります。

1つ面白いのは、「5年前だったらGマーク取れてたよね」って審査委員が言うものがありました。それって、やっぱり時代が移り変わって、審査価値基準も移り変わってるということをまさに言い表してるんじゃないかなと思いました。それは掃除機だったんですが、形としては非常に美しくまとまっていて、使い勝手もいい。これはいいんじゃないかっていう話もあったんですけれども、ぴかぴかの塗装が施されてたんですね。その隣には、掃除機の素材を資源として回帰させる、うまく循環させるっていうことを考えた掃除機も並んでたんです。コストもかかってない、ちょっとプラスチックの雑な感じも出てたりして、実は純粋に形だけの評価でいうとよくなかったんですが、そこを企業が堂々と「私たちは塗装をやめて、環境に対する姿勢を示します」と言っていた。その考え方が非常に高いレベルで評価できるという話になりました。逆に、そうなると最初の掃除機が急に古く見えてしまった、ということがありました。


外からみると、グッドデザイン賞ってどうなの?

『WIRED Japan』編集長の若林さんがご到着されましたのでお伺いします。若林さんのグッドデザイン賞のイメージって、どんな感じですか。


若林:

原研哉さんのイメージが強くあります。何かきれいだといいんだなあ、みたいな感じのイメージです。でも、ほとんど興味はないです。何のために、誰がやってるのかも良く知らないので、グッドデザイン賞受賞とか経歴に書かれても、ふーんとしか思わない。デザイン業界に対して何かすごくよく分からない政治力があるんだな、みたいな印象ですね。


並河さんも審査委員になられたのは今年なので、まだ審査は経験されておらず、今はまだ外部の目線だと思うのですが、そのあたりいかがですか?


並河:

僕もずっとそういうイメージで見てて、グッドデザイン賞ってあんまり興味無かったんです。でもこの2年ぐらいは、僕が注意深く見てるからなのかもしれないですけれど、何かソーシャルグッドなものが評価されてきたというか、以前はグッドデザインの「デザイン」のほうが立ってたのが、最近は「グッド」のほうが立ってきてるような感じを受けていました。その方向は自分にとってはすごく興味深いし、これからもっとそういう方向に行くとしたら、自分もグッドデザイン賞に関わりたいなと思っていたので、今回審査委員のお話をいただいて、うれしかったです。

僕は、あらゆる賞は何かを進化させるためにあると思っています。褒めるだけだったら、あんまり意味が無いと思うんです。この賞があることで、この世界がどう進化するのかっていうところが大事だと思っていて、最近そういう兆しをグッドデザイン賞にも感じるようになっていました。


倉本:

僕は若林さんの言うことがすごく良くわかります。本当に新しくて面白いことというのは、混沌とした状況の中からこそ生まれる。それを見つけ出すのが面白かったり、本当にかっこいよくて、きれいな面白いことなんじゃないか?というのが根本的にあるんですね。だから逆にグッドデザイン賞は整い過ぎてて、ちょっと「遅い」という感じなのは僕も分かります。自分が審査委員をやることになって、そこは葛藤しながらやっています。ただ、堅かった組織が混沌を受けとめる方向に進んでいる感じはします。Gマーク自体があまり価値を持たなくなってきてた時期というのがかつてはあって、「Gマーク取ったら売れない」とかよく言われてました。審査委員として中に入ってみたら、結構Gマーク自身ももがいてるというか、どんどん変わろうとして、その混沌を受け入れようとしている。混沌の中にも価値があるんじゃないかというアプローチをしてるっていうことを知って印象は変わりました。


林:

僕はそもそも昔からデザイン雑誌とか好きで読んでいて、グッドデザイン賞も展示とかもわざわざ見に行っちゃうぐらいだったので、以前から興味はありました。そんな私としては毎年毎年の受賞製品の歴史を振り返るとグッドデザインの歴史が振り返れる、というような内容になればいいな、と思っています。ただ、最近そこで苦しいなと思うのが、やっぱり応募制なので、みずから応募してくるところしかグッドデザイン賞の受賞はないんですよね。明らかにその年を代表するグッドデザインという製品が応募がないために抜けていたりするので網羅性がなく、そこは歯がゆく思っています。

実際に審査をしてよかったな、と思ったのが、選から漏れた方にメッセージを書くしくみがあることです。こちらも真剣に審査をしているので、漏れた方にはなぜ漏れたかをしっかり伝えて、納得をしてもらいたい。これやると大変なんですが、伝えることができるだけでかなり審査をしている側としてはスッキリできます。ただ、毎年、審査員が変わるので、人が変わることによって基準が保てない、という危惧はあります。こちらがこれこれこういう風な部分が足りなかったから落ちた、と伝えたことが翌年の審査員の見方は変わっている可能性はある。この辺りのしくみも難しいところですね。 ただ、審査をしながら、その分野のデザインの最前線みたいな対話をたくさんするので、その対話を応募する人たちとも共有して審査員とメーカーで一緒にグッドデザインとは何かを作っていける形になればいいな、と思います。 そうした対話の積み重ねを通して、グッドデザインの歴史が振り返れるようになればいいな、とも思います。


若林:

僕は基本的にグッドデザインがどうなのかは知ったこっちゃないんですが、ものの工芸的な美しさを検証とするいうことであれば、それはそれで通すべきだと思います。それは世の中にとって必要なことだと思うんですね。プロがプロの仕事をきちんと見るというのはとても重要なことなので、そこを手放して、時代に合わせて混沌に寄っていくというのがいいのかどうかは、まず議論されるべきじゃないでしょうか。

そうでなくて、デザインの領域が非常に広がってるという状況の中で、その全体を見るんだとなると、これは結構厄介な話になってくる。つまり、「グッド」を定義しなきゃいけなくなってくる。何のために、誰をどう表彰するんだっけというクライテリアの設定を考える必要があると思います。

去年、デンマークのインデックスというデザインアワードに行ってきました。彼らのテーマは「Design to improve life(生活をよりよくするデザイン)」で、デザインに対して投資をするとも宣言していました。授賞式に王女様が来ていたことにも感心しました。デンマークが国として、「デザインする人は偉い」ということを公言してるんです。市のホールでの授賞式で、市長も「私たちはこれからデザイン教育にめちゃくちゃ力を入れていきます」というメッセージを発していました。「デザイン教育はなぜ役に立つんですか」って聞くと、「市が経済的に潤うからだ」と明言する訳です。僕はそれにすごく驚きました。ちゃんとしたアワードが、若い世代の教育的な側面を持ちつつ、産業をサポートするというメッセージにもなっている。それは非常に強いと僕は思ったんですね。

日本のグッドデザイン賞をふりかえると、歴史の中でふんわりと「こういうものだよね」というコンセンサスはあると思うし、その中でデザイナーという職能が社会において果たしてきた役割が文脈として含まれてたはずだと思います。そこに対してどうするのかは、実はアワードを通してメッセージになってないとまずいだろうという気がします。そういう議論がされた上で、一般向けのメッセージも大事だし、これからデザインを志そうという人たちへのメッセージもより大事かもしれない。


齋藤:

僕自身も大学教えているんですが、日本はそれほどデザインの教育があんまりうまくないのかなと僕も思います。先日行ったD&ADでも彼らは変わろうとしていて、今年はエデュケーションプログラムや新しい展示を始めたんですね。彼らも55年ぐらいの歴史があります。若林さんが言ったのはまさにそのとおりで、僕が思ってるグッドデザイン賞も完全に業界向けという感じです。一般の人たちはあんまり関係が無い感じ。なんだけど、例えば建築業界は、15秒のCMの中に「グッドデザイン賞受賞」っていうのが入るだけで、信頼度が増す感じがするんですよ。

グッドデザイン賞は「羅針盤を作る」だけでいいのか?

グッドデザイン賞はどう時代と折り合っていけばいいでしょうか?


齋藤:

僕は審査委員として入る前はグッドデザイン賞に対しては、JISマークに近い感覚がありました。あると安心、みたいな。ただ、このグッドデザイン賞が変わっていく方向として、「今年はこれが正解です。来年はこれよりも強いもの、次の正解を出しましょう」というメッセージを発することは、もちろんあると思うんですね。でも、その羅針盤を作るだけなのか。デザインを学びたい若い世代に対して、「日本人が考えるデザイン」を教えていくのも1つの方向かもしれない。

もう一つ、もっと大事なのは支援です。デザインやものを作る在り方は、企業が絶対的に有利なんですよ。ただ、最近は企業だけではなくて、小さいところでもできるようになってきた。そういうところに、ぽんとお金を与えるわけじゃなくて、ちゃんとエコシステムに入れるような支援ができればいいと思うんです。たとえばスポンサーを紹介するとか、「君たちとこの人たち、すごい近い考えを持ってるから、なんだったら一緒にやっちゃいなよ」みたいにチーム同士を紹介してあげたりという部分は、彼らに対する最初の先行投資にもなるし、そこもグッドデザイン賞が担っていけるんじゃないかと思うんです。白物家電からコンテンツから医療から、あらゆるものがグッドデザイン賞の中あるので、俯瞰でいろんな業界が見える立場にいるからこそできることがあるんじゃないかと思います。それがグッドデザイン賞の新しいビジネスなのか、新しい発展系なのかもしれないですね。グッドデザイン賞じゃないとできないことが、日本の業界の中でもある気がします。だけど、そのプロセスも時代的にはやっぱりしっかりとデザインしてあげないと駄目なのかなとすごく思います。


林:

昔はわりと「グッドデザイン賞=日本製のグッドデザイン」みたいなイメージがあって、グッドデザインの受賞作品をミラノサローネで展示していることもありました。日本の良品を海外の人たちに紹介する良いきっかけにもなっていた。今は海外からの応募も増えてきてるから、ちょっと性質が変わってきました。グッドデザイン賞全体でどういうデザインを良しとしてるのか、をうまく共有してやれれば、歴史もあるし、みんなが知ってるマークだし、何かすごいことができそうな気はします。グッドデザインの審査プロセスもそうだし、授賞式でみんながもっと交流できたらいいなと思いつつ、あまりできていない。ただ、まだまだできることはあると思います。


並河:

全然話が違うんですけど、昨日、2014年にノーベル平和賞を取られたカイラシュさんというインドの方とお話をする機会がありました。児童労働の問題を解決したいとインドで活動を始めた方です。いろんな権力から脅されたりする中でも、ずっと活動を続けて、児童労働の子どもたちを何万人も解放して、法律を変えて、それでノーベル平和賞を取りました。困難な状況の中でも続けてきた活動に、ノーベル平和賞を与えることに大きな意味があったんです。ノーベル平和賞は、それを「応援する」という、ものすごく明確な目的で与えられた。

だから、グッドデザイン賞って何のためにあるのかという話でも、たとえば、まだ自分たちのやってることに不安を抱えながらやっているソーシャルデザイン領域の人たちが、このグッドデザイン賞で表彰されることで、「これは一つのプロフェッショナルな仕事だと胸が張れる」んだとしたらすばらしいことだと思います。そういうふうに感じている人も絶対いるし、そういう「あ、ここもデザインなんだよ」と認めてあげる役割もグッドデザイン賞にはあるのかなと思います。


若林:

今日ここに来る前に、大学のキャリアデザイン学部で講義してきました。まずそもそもデザインの定義って難しいっすよね、みたいな話をしてきたんです。その中で、エンジニアリングの部分というのが、まずあるんだろうという話をしていました。つまり「それうまくできてんじゃん」とか「それすげえきれいにできてんじゃん」というのは、エンジニアリング的なことだよねというような話です。それに、ものの倫理性とかそういうことを考えてくみたいな領域もデザイナーの仕事として実は重要なとこかもしれない。これはコンテクスト抜きでしゃべるといけない感じにはなるんですけど、そんな話をしていて。それってすごく優れて、腕が冴えてるね、いい腕してるねみたいなエンジニアリング領域と、「社会とは何か」「人が生きるとは」みたいなことをプレゼンテーションする領域、両方ともデザイナーの重要な職能なんじゃないかという気がしてるんです。今は割とそれがごっちゃになってるんですが、もしかしたら分けられるかもしれないなという気はしていました。


倉本:

世の中に対してグッドデザイン賞はこういう評価基準を持ってますとオープンにすることは、結構大事なんじゃないかな。以前、AKBが受賞したり、テレビ番組が受賞して話題になったこともありました。それを見ると、そういうのもグッドデザインって言っていいんだ、今そういうふうに考え方は動いてきてるんだなというメッセージがあります。そういうのって強いメッセージになると思うんですよ。まずそこに、議論が起きることが僕は大事だと思います。これもグッドデザイン賞に認められるんだという新たな気付き。グッドデザイン賞の定義はそれはそれで必要になってくると思うんですけど、世の中に認められた感、しっかりと評価されてる感っていうのは出る。


話はもう少し進んで、グッドデザイン賞の役割と可能性へ

「カテゴリー」や「枠」があいまいになりつつある、というお話もありました。


若林:

以前グラミー賞について記事を書くにあたり、幾つ部門があるんだろうと調べたら、150近くあったんです。ちゃんとベストライナーノーツ賞っていうのもあって、昔は僕もCDのライナーノーツを書いてたことがあるので、結構感動しました。俺もいつか取れるかもって思うじゃないですか。取れないですけど。やっぱりそれが持つ意味っていうのは、死ぬほどでかいって思ったんですよ。

既にマーケットの評価が出てるものは、それはそれとしてあるんだけれども、例えばプロから見たら「これって実はすげえことやってんだけどな」みたいなものってあるじゃないですか。「これ、やっぱり普通できないよね」とか「勇気あるよね」とか、そういうものが評価されるべきだろうと思います。日の当たらないものを、かつプロじゃなきゃ分からないものを、ちゃんと見てくれる人がいるということは、仕事のモチベーションになると思うんです。俺、この仕事やってていいのかな、みたいなところを担保してくれる。そこはアワードのかなり大きい役割だと思います。だから、カオス的に部門が200あるみたいなことでも、もしかしていいのかもしれない。


並河:

そう思うと、ソーシャルデザインも、それに特化したアワードはまだ少ないんですよ。いくつかの賞はあるんですけど、あまり知られていない。実はソーシャルデザインをやってる人たちが集まって、賞を作ろうかみたいな話はこの数年たびたび起きるんですけれども、「いや、別に賞のためにやってないよ」とか誰かが言い出して、じゃ、賞は作らなくていいよとなっちゃって、終わっちゃう。そう考えると、いま、グッドデザイン賞の一部が、ソーシャルデザインの人たちにとって、ソーシャルデザイン賞的な役目も果たしはじめているのかもしれないなと思いました。


林:

結局、グッドデザイン賞って何を基準に審査しているのかは、できるだけ応募する前から応募者とシェアをしていきたい部分ではあるけれど、実際にはコレという基準はなかなく、共有も難しい。 というのも、デザインって、つくっている会社の規模やその製品ジャンルの成熟度によっても変わってきます。例えばいわゆるIoT系(モノのインターネット)系などの新しいジャンルの製品は、製品としての試行錯誤の歴史が少ない分、「Form follows function」じゃないけど、機能がそのまま形になっている部分が大きい。機能そのものが製品の魅力になっていることが多くて、そこで評価せざるをえない。一方、成熟しすぎたデジタルカメラみたいな製品だと、機能は大差がなくて、装飾というか製品の裏にある意図が形になっていることが多い。例えば昨年のデジタルカメラの審査でいうと、スマートフォンに圧倒されて売れなくなったカメラをどうやってもう1度楽しんで買ってもらうか、セルフィー(自撮り)機能などの流行は積極的に取り入れるなど、「買わない理由」をつくらないように注視しつつ全体の形としては昔のフィルムカメラの形に回帰して、シャッター音まで合成して模しているような製品もありましたが、本来の機能に沿わない演出を評価すべきなのか悩まされました。

審査基準の難しさでいうと、ほとんどは単体での応募なのですが、メーカーによっては1つの製品ではなく、製品シリーズとして応募してくるところもあれば、製品シリーズとその中の個別製品の両方で応募してくる会社もあり、それをどう審査仕分けたらいいかも悩みました。例えばあるスキャナーはシリーズ全体を通して薬局や税関といったあらゆる市場のニーズに細かく対応できるようにしている、というのがシリーズ応募の理由になっていました。なるほど、確かにそれはそうだと納得できるのですが、それなら個別の製品ではGマークを掲示できないようにしてシリーズの広告だけGマークの利用を許可するのだろうか、とか悩みは尽きません。話を重ねれば基準ができてくるのかと思ったけれど、どこまで話していても1つの基準には到達できない。だから、やがて審査委員は一つ一つの製品のデザイナーの意図をくみ取って、他の審査員にプレゼンする代弁者になっていきます。

「グッドデザイン賞とは『良いデザインとは何か』を語り合う膨大な対話である」

林:

実はグッドデザインの審査って、「グッドデザインとは何か」という膨大な対話の審査なんだなと今、思いました。おそらくこれほど大勢の人がこれほど集中的に「良いデザイン」を語り合う場所は他にないと思います。我々が審査をしているのは、実は製品を通して考える「良いデザインとは何か」の対話であって、審査員は1つ1つの製品が「なぜ良いデザイン」かを説明する代弁者なのかな、と思いました。 審査の基準は、そうした代弁者と、それを聞く他の審査員による「それは良いデザインか」という対話が全員を説得できるか否かなのかなと思い始めました。


齋藤:

僕、今の話にはもう大賛成で、そうなると、もう1つ審査委員の役割としてあるのかなと思ったのは、審査が終わった後に、その業界の人たちに対して、ちゃんと「今年の潮流はこうでした」って言った方がいいんじゃないかな。上空から俯瞰して見てることで全体の潮流が分かる。だからこそ、「今年はこうでした、こういうのが多かったです」というのを言う機会をきちんと持つべきです。たとえばそれを、毎週、審査ユニット違いでやってたら、僕はすごく意味があることだと思います。


倉本:

僕も去年終わってすぐに、同じことを思いました。何か大量の熱意を審査で見て、それを通じて傾向もトレンドも見えるし、美意識のぶつかり合いみたいなところもあって、全部いろんなごっちゃ混ぜで、混ざったスープみたいになってるものを、なんとかして共有できないかなって思ったのを覚えてます。僕はそれで、すごくいろんなものを見せてもらって得をしたような気がしたんです。この感じを、応募企業に還元したり、あるいは第三者もどこかにアクセスすればそれを共有できるとか、何かそういうシステムがあれば本当いいのになと思ったのを今、思い出しました。すっかり忘れてましたけど。

その共有の方法が何か楽しげに、うまいことデザインされてたらいいのになと思います。メディアの形を変えて数種類とかあってもいいんじゃないかな。


並河:

審査のことを共有するのもそうですし、若林さんがおっしゃったデザイン業界やデザイナーをもっと日本で引っ張り上げていかなきゃいけないとしたときに、どういうことをすべきかっていうような、もう一歩踏み出した、提言ぐらいまでやってもいいのかなと思いました。


2時間あまりの白熱した議論に、ご参加いただいた方々も熱心に聞き入っていました。
いよいよ2016年度グッドデザイン賞の審査が始まります。
審査を通じて発見したことは積極的にお知らせしてまいりますので、ご期待ください。

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