<REPORT> 2020年へ、東京という都市をいかにデザインするか 第二回
2020年オリンピック/パラリンピック開催に向けたデザイン分野の実践的プラットフォームとなる「東京大会デザイン2020フォーラム(仮称)」により 、さる10月31日に東京ミッドタウン・ホールで開催されたオープンセッションのレポート後編をお届けします。
第二回「東京オリンピックに向けての心構え」
ステージの周りを整えよう
前回、東京はオリンピックの舞台として整っていると述べたが、オープンセッションでの定村俊満氏や廣田尚子氏、福島治氏からの提言によれば、まだ詰めが甘いようだ。オリンピックのあとには、パラリンピックが開かれ、さまざまな障害を抱える競技者たちがやってくる。果たして、彼らが日本に入り、そして出るその瞬間まで、日本・東京は100%のおもてなしを提供できるだろうか。バリアフリー対策は万全だろうか。競技施設はもちろん、宿泊施設や、駅を含めた公共空間のバリアフリーを万全にしなくてはならない。また、街に出れば人々は大量の情報に触れることになる。言語の壁を取り除くだけでなく、煩雑した情報を今一度整理し、より視覚的で明快なサインに換える必要があるだろう。
オリンピックの開催には、3つの時間軸を持って多くの人を受け入れよう
さて、西山浩平氏が話していたように、競技者として参加できる人は限られるが、何もオリンピックに関わる方法はそれだけではない。開催時期の集客を増やすことはもちろんだが、その前段階である7年間の準備期間にいかに一般の人たちを巻き込み、盛り上げられるかが重要である。ここで具体案を提示することは避けるが、コンテストやイベント開催、ボランティアの募集など手立てはいくらでもあるはずだ。そして、開催後のことも考えなくてはならない。オリンピックは、人々の心に残るだけではなく、施設や整備したインフラもそのまま残る。新しく生まれ変わる国立競技場を含め、施設をどう残すのか。人々の憩いの場とするのか、賑わいをみせる場とするのか。開催後について考えることも重要な議題である。つまり私たちは、開催前、開催中、開催後の3つの時間軸を立体的に見つめ、プロジェクトを組み立てないといけない。
世界最大の祭典を教育の場に
オリンピックは、世界に自身の活動を発信できる場でもある。ならば、この貴重な機会を現役で活躍する世代だけでなく将来世代にも、実践の場として与えてみてはどうだろうか。先ほど述べたように、私たちはオリンピック開催にあたり3つの時間軸を持つ必要がある。開催期間中とは言わないが、開催期間前に、できるだけ将来世代である学生や若手クリエイターが企画・運営または参加できるイベントやコンペを開催し、若いうちから世界へ向けた活動を経験させるべきだ。松下計氏は、今後7年間で、日本の総力を集めるべきであり、そのためには、国家主導ではなく市民レベルで、小さくても多くのアイデアを出し合い、形として残していくことが大切だと話していた。私は、学生や若手クリエイターが、日本の総力を集める原動力となってもいいと考える。そして、オリンピックが終わってからも、将来世代が活躍するに至ったルーツとして残るような経験を積んで欲しい。
また、田川欣哉氏が提案していたような、現役で活躍するクリエイターの手書きメモなどの一次情報から完成形までの情報を、逐一クラウド上で共有できるプラットフォームを作ってみてはいかがだろうか。このプラットフォームを公開することにより、市民や学生などの一般ユーザーは、クリエイターの小さな問題意識やアイデアの背景、思考プロセスを学び取ることができ、教育の資源として大いに活用されると考えられる。
このように、オリンピックは、将来世代を教育する良い機会と言えよう。
今回のオープンセッションを聴いて、デザイナーという職業の広がりを非常に感じた。オリンピックに限って言えば、デザイナーはまるで祭典全体の方針係のようであり、その方法論までも論議している。そして、提案される一つ一つの案が非常に鋭い。それを可能にしているのは、デザイナーの職業気質だと思われる。私は、デザイナーとは、対象となるものごとをより良い状態にする仕掛けを作る人だと考えている。より良い状態には2種類あり、1つ目は、対象に宿る問題を解決すること、あるいは問題とまではいかなくても、対象への小さな不満や負の感情を取り払う状態にすることである。2つ目は、ものごとを別の切り口から捉え、新しい価値を持たせ、人々に喜びを与えられる状態にすることだ。この2つには共通している点がある。それは、生活者の立場に立って徹底的に考えるということだ。そうすることで、どこに問題点があるのか、不満はどこから生まれるのか、あるいはどうしたらより喜びを抱けるようになるのか、徐々に把握できてくる。今回のオープンセッションには、日本を代表するクリエイターたちが登壇した。彼らの専門性は一人ひとり異なり、独自のカラーがあるが、私には、彼らがオリンピックに関わっていく限り、2020年のオリンピック、および東京という都市の未来は明るいと思えた。
齋藤悠也/JDP