<REPORT> 2020年へ、東京という都市をいかにデザインするか 第一回
2020年オリンピックの開催地が東京に決まったことを受けて、公益財団法人日本デザイン振興会、公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会、公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会、公益社団法人日本サインデザイン協会、日本デザイン学会の5機関が中心になって、東京大会デザイン2020フォーラム(仮称)の設置を予定しています。オリンピックの成功には、デザイン分野におけるヨコの連携を強化させ、全体の調和を図る組織が欠かせないはずであり、このフォーラムが今後その役目を担っていくことが期待されています。
そして、開催が決まってから二ヶ月近く経った10月31日、東京大会デザイン2020フォーラムは、活動の第一歩として、日本を代表するデザイナー20名を演説者として招き、オリンピックに向けての公開オープンセッションを開催しました。公益財団法人日本デザイン振興会にてインターンシップを務める斎藤悠也が、東京ミッドタウン・ホールで行われたオープンセッションの模様を全二回に分けてレポートします。
第一回「2020年のオリンピックで世界に届けたい新しい東京」
1964年東京オリンピックを振り返ろう
まず、2020年のオリンピックについて触れる前に、1964年東京オリンピックを振り返ってみようと思う。1964年の東京オリンピックでは開催に向け、国立競技場や日本武道館などの競技施設の建設はもちろん、東海道新幹線の開通や首都高速道路の整備、東京プリンスホテルなどの宿泊施設の建設を実現させた。また、永井一正氏は、1964年大会では、デザインが非常に上手くいったと話していたが、それは、勝見勝氏が委員長を務めたデザイン専門委員会が中心となって、デザインシステムを完成させたことで、それぞれのデザイナーが持つクリエイティビティを存分に発揮させられたからだという。結果として、1964年東京オリンピックは、戦後の日本の奇跡的な再生を世界に示した象徴的な意味合いを持ったといえる。そして、新たな開催地として選ばれた今、私たちも、2020年の東京をどういう都市にしていくか考える必要がある。
2020年東京発、世界へ届ける「消費ではなく活用する」都市像
さて、東京をどう築くか決める前に、オリンピック開催地として、東京が日本の代表になること、さらにアジア、世界の代表となることを意識しなくてはならない。開催期間中、東京が世界で最も注目される都市になることは間違いない。そして、日本は社会的、文化的、経済的に成熟した国家である。成熟国家である日本・東京が、世界の代表に選ばれた。これはいったい何を意味するのだろうか。
原研哉氏の言葉を参考にすると、東京は、すでに盛大さや煌びやかさにのみ注力するだけの段階にはもう立っておらず、それよりも見本となる新しい都市像を世界に届けることで務めを果たすべきである。世界は東京に、開催都市として、ただ施設とインフラを整え、人員を揃えて開催することであったり、あるいは一定のパフォーマンスを果たすようなことは求めていないのではないか。
そこで私は、新しい東京の都市像を、消費ではなく「活用する都市」としたい。サスティナブルな都市開発が求められるようになって久しいが、東京は、ドイツのフライブルクやフランスのストラスブールなどの、欧州の環境推進都市に比べ政策が遅れている。2020年に向け、再生可能エネルギーやスマートグリッドなど、環境に配慮したエネルギー供給システムの導入を検討すべきだ。また、EVのシェアリングや優れた鉄道網を利用した、より効率的なモビリティデザインを再設計する必要もあるだろう。東京は、限られた資源を消費するのではなく、目一杯に活用したコンパクトな都市像を自らが見本となることで、世界に提案するべきではないだろうか。そうすることで、オリンピックでは、派手なパフォーマンスや演出だけでは表現できない、慎み深い美の感動を届けることができるはずだ。
「開催地で暮していることを一人ひとりが自覚しよう」
言うまでもないが、人の集まりで都市はできている。そして海外から来るゲストたちをもてなすのは、都市そのものではなく、一人ひとりの個人である。個人といっても、ホテルのフロントに立つ人や、駅の案内員といった役柄がある人だけではなく、街を行き交う一般の人にも向けていえるはずだ。
これは、自分をツーリストに置き換えてみると分かる。旅先がどんなに美しく洗練された街であったとしても、そこで暮らす人たちから歓迎されていない扱いを受けたり、あるいは盗みや騙されることがあれば、それだけでその街の印象は崩れてしまう。一方で、たとえインフラが整っていなかったり、観光名所がない街だったとしても、旅先で人に温かく受け入れられたり、喜びを共有できたり、助けてもらうことがあれば、私たちはきっと、そこに住む人たちが好きになり、街を好きになる。街の印象は、そこで暮らす人たちにかかっているのだ。
幸運なことに、東京には、浅草があり、秋葉原があり渋谷がある。少し足を運べば横浜もある。また、観光地だけでなく、和食に始まり、伝統芸能や、漫画やアニメがある。日本・東京が持つ文化は、極東にあるユニークな都市として映えるに十分な素質を持っているはずだ。加えて、日本のインフラは高い水準にあるし、街も美しく、治安も良いとされる。そう、舞台は整っているのだ。あとは、日本・東京で暮らす一人ひとりが、開催地であることを自覚し、一対一のコミュニケーションを大切にしていくことが肝要である。
「ディシプリンされた優しい人を抱える東京へ」
これに関して、深澤直人氏はオリンピックのテーマを「美しい都市、きめ細かいもてなし。優しい人柄。美しいスポーツの祭典。」と提示していたが、これはまさしく先ほど述べた消費ではなく「活用する都市」にも通じるところがあると考える。というのも、フレーズの中に、「優しい人柄」が挙げられているが、優しい人を抱えることは、活用する都市に欠かせない要素だと思うからだ。優しい、とはおそらく地球環境と他者、二つの対象に向けての姿勢を指している。つまり、地球資源の有限性を理解した上で、環境に配慮されたシステム、ルールに順応しており、要らぬ消費をしない生活を営む人。そして、自身の高い生活水準を鼻にかけず、慎み深くも、温かい心を持ってゲストを受け入れる人。この二つの優しさを、深澤氏は「優しい人柄」というフレーズに込めたのではないだろうか。また、深澤氏は「ディシプリンされた人」とも表現していたが、つまりは、「他者に優しく、自分に厳しく」の様を意味しており、ディシプリンされた人と優しい人には互換性があると思う。「ディシプリンされた優しい人」。この人物像を抱える大都市・東京が2020年に実現されてこそ、他の都市では見られない近未来の都市像として評価されるはずだ。
2020年のオリンピックは、東京を「ディシプリンされた優しい人が住む、活用する都市」へと昇華させる、またとない機会となるだろう(第二回に続く)。
齋藤悠也/JDP